津名道代作品年譜 2007//現在

(2) 昭和50年(1975年)から昭和63年(1988年)まで

 

◆昭和50 1975

 ★1月

 ○ 「元禄師弟道中 18 海かい月げつ」 (花泉1月号)

 ★2月

 ○ 「元禄師弟道中 19 京の雨」 (花泉2月)

 ○ 「佐渡の老女」 (全国愛農会機関誌 「愛の家」 2月号)

 ★3月

 ○ 「元禄師弟道中 20 かきつばた」 (花泉3月号)

 ○ 「提言」 (週刊和歌山新聞)

 ★4月

 ○ 「元禄師弟道中 21 芸と和と」 (花泉4月号)

 ★5月

 ○ 「元禄師弟道中 22 大江戸の底」 (花泉5月号) (ここから第U部に入る)

 ★6月

 ○ 「元禄師弟道中 23 生類」 (花泉6月号)

 ★7月

 ○NHK総合テレビ 「和歌山の話題―この人にきく 津名道代さん」 (7月1日pm1時25分〜1時40分 再pm5時40分〜5時55分)

「元禄師弟道中 24 水うごく」 (花泉7月号)

 ★8月

 ○ 「元禄師弟道中 25 かくれた布石」 (花泉8月号)

 ○ 「誌上対談・妣 (はは) の国のこと」 伊藤方丈・津名道代 (社会福祉法人・あさみどりの会会誌 「あさみどり」 37

 ★9月

 ○ 「元禄師弟道中 26 草の道」 (花泉9月号)

 ★10

 ○ 「元禄師弟道中 27 旅ということ (その1)」 (花泉10月号)

 ★11

 ○ 「元禄師弟道中 28 旅ということ (その2)」 (花泉11月号)

 ★12

 ○ 「元禄師弟道中 29 旅ということ (その3)」 (花泉12月号)

 

◆昭和51 1976

 ★1月

 ○ 「元禄師弟道中 30 旅ということ (その4)」 (花泉1月号)

 ○ 「自作自受  冬日ひとりごと (全国愛農会機関誌 「愛の家」 1月号)

 ★2月

 ○ 「元禄師弟道中 31 旅ということ (その5)」 (花泉2月号)

 ★3月

 ○ 「元禄師弟道中 32 旅ということ (その6)」 (花泉3月号)

 ★4月

 ○ 「元禄師弟道中 33 旅ということ (その7)」 (花泉4月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 (一) 人間開放としての障害者問題」

  「誕生日ありがとう運動」 機関誌 『ボランティアのしおり』 4月号126号の巻頭〈ボランティア講座〉の連載はじまる。 この連載は昭和5812月まで続く。

 ★5月

 ○ 「元禄師弟道中 34 北の空」 (花泉5月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 (二) こんな人がボランティアに (その1)」 『ボランティアのしおり』 5月号〈ボランティア講座〉)

 ★6月

 ○ 「元禄師弟道中」 は花特集号にて休載。

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 (三) こんな人がボランティアに (その2)」 『ボランティアのしおり』 6月号〈ボランティア講座〉)

 ★7月

 ○ 「元禄師弟道中 35 」 (花泉7月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 (四) 交わり― 「寒風」 のこと (その1)」 『ボランティアのしおり』 7月号)

 ★8月

 ○ 「元禄師弟道中 36 春まぼろし」 (花泉8月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 (五) 交わり― 「寒風」 のこと (その2)」 『ボランティアのしおり』 8月号)

 この月、 ヨーロッパ旅行。 その直前、 未知の入谷仙介氏から 「全国難聴者連絡協議会」 設立準備委員会への参加を求める手紙来る。 帰国後、 大阪天王寺にて会う。 参加を承諾する。

 ★9月

 ○ 「元禄師弟道中 37 変貌 (その1)」 (花泉9月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 (六) 交わり― 「寒風」 のこと (その3)」 『ボランティアのしおり』 9月号)

 ★10

 ○ 「元禄師弟道中 38 変貌 (その2)」 (花泉10月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 (七) 交わり― 「墨堤に消ゆ」 (上)」 (『ボランティアのしおり』 10月号)

 ★11

 ○ 「元禄師弟道中 39 猿と世を経る」 (花泉11月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 (八) 交わり― 「墨堤に消ゆ」 (下)」 (『ボランティアのしおり』 11月号)

 ○ 〔講演〕 「川永地区 (旧川永村) の歴史  弥生農村集落から現在まで  」 11月5日

午後2時半から4時半 於:川永小学校講堂

 ★12

 ○ 「元禄師弟道中 40 ―吹き風の」 (花泉12月号)

 

◆昭和52 1977

 ★1月

 ○ 「元禄師弟道中 41 青柿」 (花泉1月号)

 ★2月

 ○ 「元禄師弟道中 42 虚空 (その一)」 (花泉2月号)

 ★3月

 ○ 「元禄師弟道中 43 虚空 (その二)」 (花泉3月号)

 ○ 「紀州の男―紀国屋文左エ門と松下幸之助」 (和歌山よみうり新聞3月4日号)

 ★4月

 ○ 「元禄師弟道中 44 虚空 (その三)」 (花泉4月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 (九) 福祉社会の底の諸問題1―石もて追われる者〈その一〉」 『ボランティアのしおり』 4月号)

 ★5月

 ○ 「元禄師弟道中 45 星座 (その一)」 (花泉5月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 (一〇) 福祉社会の底の諸問題2―石もて追われる

者〈その二〉」 『ボランティアのしおり』 5月号

 ★6月

 ○ 「元禄師弟道中 46 星座 (その二)」 (花泉6月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 (十一) 福祉社会の底の諸問題3―普通学級の障害児 (その1) 或る特訓」 『ボランティアのしおり』 6月号

 ★7月

 12日 師父急逝。 今生、 この悲しみの時を耐ゆる、 他にすべなし。 当日より蹌踉と筆を起こし

 ○ 「師父抄  刻悲発願」 を綴る。 8月4日に至り、 第2稿をほぼ了う。 (原稿用紙400字詰93枚) (同日12日、 師父1ヶ月命日。 2、 3の知友にコピーし、 もって悲願を述ぶ)

 ○ 「元禄師弟道中 47  (最終回)  星座 (その三)」 (花泉7月号)

 昭和48年5月号より、 満4年3ヶ月連載せし八百数十枚の長編小説、 完結す。 師父これを見給うことなし。

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 (十二) 福祉社会の底の諸問題4―普通学級の障害児 (その2) 自立とは?」 『ボランティアのしおり』 7月号

 ★8月

 ○ 「続師父抄―その一」 の稿を継ぐ (8月21日了。 85枚)

 ○ 「お上のぼりさんヨーロッパ一見 1 うしろめたい出発」 「花泉」 新連載。 8月号より)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感」 は七月休筆。 よって8月号休載。

 (9月から腎結核発病のため連載原稿二本とも休筆。 但し 「続師父抄」 のみ書き継ぐ。

 休筆したが、 雑誌編集部へは、 双方共、 すこし先の月の分まで送ってあったので、 それを掲載。 「お上のぼりさんヨーロッパ一見」 11月号まで掲載、 12月号から休載して、 翌昭和53年4月から再び筆を執り、6月号から、 (第5回から) 再掲。 「コウモリによるボランティア雑感」 の方は昭和5210月号までで、 以後11月号から休載、 昭和56年1月号から復活再掲。    という経過である。 「お上のぼりさんヨーロッパ一見」 の方はなにぶん、 原稿料をもらえる方だから、 早く再開する結果となった。)

 ★9月

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見 2 アンカレジの雨」 (花泉9月号)

 矢野修二郎稿 「遍路記」 40090枚) 第二回書写校注版を製作、 コピーとる。

 ○ 「矢野修二郎遺稿一覧」 作製。 52年9月26日)

  「続師父抄―その二」 の稿を継ぐ。

 ★10

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見 3 第一歩、 アムステルダムの空港で迷子に」 (花泉10月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 十三 福祉社会の底の諸問題 (5) ―普通学級の障害児 (その三) 押しもどす機械の手」 『ボランティアのしおり』 10月号) (いずれも9月以前に成稿のもの)

 ○ 「内なる障害を克服し心を合わせて前進を!」 (全国難聴者連絡協議会機関誌 「新しい明日」 12号 昭和5210月1日号) (9月以前に成稿のもの)

 ★11

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見 4 アンネの月」 (花泉11月号) (9月以前成稿)

 「続師父抄―その二」 の稿を継ぐ。

 ★12

 ○ 「続師父抄―その二」 (昭和521212日了) 400字詰110

 

◆昭和53 1978

 ★1月

 ○ 「続師父抄―その三」 昭和53年1月27日了。 72枚。

 ★2月

 ○ 「続師父抄―その四」 の稿を継ぐ。

 ★3月

 ○ 「矢野修二郎遺稿 詩の部 (現代詩 漢詩)」 校注 編集了る。 升眼無視で64枚。

 ○ 「続師父抄―その五」 の稿を継ぐ。

 ★4月

 体調やや回復したので、 「お上りさんヨーロッパ一見」 の稿を継ぐ。 第5回分から。

 ★5月

 ○ 「続師父抄―その五」 94枚) 書了る。

   「続師父抄―その六」 の稿を継ぐ。

 ★6月

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見 5 ドーバー海峡上空の扇」 (花泉6月号)

 「続師父抄―その六」 の稿を継ぐ。

 ★7月

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見 6 君看ヨ双眼ノ色―ロンドン入り」 (花泉7月号)

 ○ 「続師父抄―その六」 111枚)  師父一周忌 (7月12日) に書了る。

 ○ 「師父抄  刻悲発願」 「続師父抄―その一〜六」 計七冊。 400字詰で約千枚ほど。

 ★8月

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見 7 ジーパン・アンパン・フライパン」 (花泉8月号)

 ○ 「矢野修二郎遺稿 散文の部 第二冊」 編集了る。

 ★9月

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見 8 ハイドパークの黒い鶴」 (花泉9月号)  ○ 「矢野修二郎遺稿」 短歌俳句の部 書画の部 ほぼ編集おわる。

 ○ 「矢野修二郎遺稿 書簡の部」 に着手する。  昭和31年分、 32年分、 33年分 (上・下) コピー、 仮製本、 目次、 内容要点、 以上で四冊、 了る。

 ★10

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見 9 壮大なミソとクソのるつぼ  ローマ第一歩 (1)」 (花泉10月号)

 ○ 「矢野修二郎遺稿 書簡の部」 昭和34年分 (上下)、 35年分、 計三冊了る。

 ★11

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見 10 壮大なミソとクソのるつぼ  ローマ第一歩 (2)」 (花泉11月号)

 ○ 「矢野修二郎遺稿 書簡の部」 昭和36年分、 37年分、 38年分、 3冊了る。 10まで。

 ★12

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見 11 クオ・ヴァデイス、 ドミネ?  アッピア古代街道」 (花泉12月号)

 ○ 「矢野修二郎遺稿 書簡の部」 昭和42年、 43年、 44年、 45年 四冊了る。 14まで。

 (この月、 歳末より、 東京の高橋英子さんの胸を借り連句の実作練習に入る。 起句 伯楽の逝きて時雨るるはなれ駒 道代。  脇 なほたのもしく抱ける温石 英子。 以下三十六句歌仙にて継続中)

 

◆昭和54 1979

 ★1月

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見 12 七つの丘に花あかく  コロッセオとフォロ・ロマーノ」 (花泉1月号)

 ○In my childhood26回 写真と文 (「ニュース和歌山」 紙 昭和54年1月21日号)

 ○ 「矢野修二郎遺稿 書簡の部」 昭和46年〜51年分、 一冊了る。 15 これにて、 全遺稿の第一次編集を了る。

 連句 「伯楽の巻」 継続

 下旬に入谷仙介博士   「全難聴」 の友人  よりその著 『漢詩入門』 の贈与を受け、 漢詩作りに熱中す。

 ★2月

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見 13 漁夫ペテロの足  サンピエトロ大聖堂」 (花泉2月号)

 この月、 連句、 漢詩に熱中。 前月と同様。

 ★3月

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見 14 酔っぱらいてんやわんやの巻  南伊ナポリ・ポンペイの一日」 (花泉3月号)

 連句、 漢詩に熱中。 前月と同様。

 ★4月

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見 15 永遠なる悲願の都  さらばローマよ、 また来る日まで (1)」 (花泉4月号)

 ○ 「矢野修二郎遺稿 録音テープの部」 「聖書説教」 (A) 新約ロマ書5章20 (B) 旧約詩篇第51 (付・祈り) (C) 復活節に贈る

 以上のテープをカセットに収録。 (A) (C) はテープを起こして文字化する (知人にアルバイトしてもらった)。 以上三月〜四月十二日、 一年九ヶ月の御命日に完了。

 ○ 「あの下駄箱のまえから    一園児の思い出」 (嘉か手て納の良りょう弼すけ牧師回顧録 『一すじの道』 嘉手納トモ著  への寄稿) (奈良市法蓮佐保川町  奈良バプテスト教会 「愛の園幼稚園」 発行)

 ★5月

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見 16 永遠なる悲願の都―さらばローマよまた来る日まで (2)」 (花泉5月号)

 ★6月

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見  17  三八四二メートルの記録  アルプス〈正午の針峯〉紀行 (1)」 (花泉5月号)

 ★7月

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見  18  三八四二メートルの記録  アルプス〈正午の針峯〉紀行 (2)」 (花泉7月号)

 「師父語録」 抽出を始める。

 昨年12月より起した高橋英子さんとの両吟連句 歌仙 「伯楽の巻」 36句、 満尾)

 ★8月

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見 19 われジュネーブで万引きす?―小人は澄明の中で反って出来心をおこすのこと」 (花泉8月号)

 ★9月

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見 20 パリの宿舎のミステリー」 (花泉9月号)

 ★10

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見 21 庭、 自然と文化―ヴェルサイユ宮殿にて」 (花泉10月号)

 ★11

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見 22 美しく寒き都  パリ (1)」 (花泉11月号)

 ○ 「萌もえ木ぎのママ讃さん」 『三年坂の灯よ―酒房萌え木十周年記念文集』 の跋) (ひょんなことから企画、 編集にあたったもの。 昭和5411月3日刊)

 ★12

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見 23  「虚空間」 コンコルド広場  パリ (2)」 (花泉12月号)

 ○ 「芭蕉の実生活」 (原題 「大津の奥村家で発見の芭蕉書簡と俳聖実生活の謎」) (毎日新聞大阪本社版 昭和541227日夕刊 学芸欄) (依頼記事)

 

 昭和54年は漢詩に熱中。 12月6日までに長短47首。 短は五言絶句から、 長は七言百三行の 「足摺岬の師父」 まで。 自分でもおかしいほどの熱中ぶりであった。 その原因は、 今もって分からない。 おそらく自分のなかにある和歌、 俳句などの詩型で表現するには、 はみだす或る部分が、 漢詩にその放出口を見出したためではないかと思われる節もある。

 7月より始めた 「師父語録」 は目下昭和31年から33年まで。

 

◆昭和55 1980

 ★1月

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見 24 揺るるとも沈まず  パリの山河性」 (花泉1月号)

 ○ 「連心のくふう  連句のすすめ」 (全国難聴者連絡協議会機関紙 「新しい明日」 25号・昭和55年1月20日)

 ★2月

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見 25 天の蒼そう々そう」 (花泉2月号)

 ★3月

 ○ 「お上りさんヨーロッパ一見 26 山青垣」 (花泉3月号)

 (「お上りさんヨーロッパ一見」 連載 昭和52年8月号より、 今月にて完結)

 ○ 「「耳の日」 に  沈黙の三百万難聴者から」 (毎日新聞大阪本社版 昭和55年3月4日朝刊 家庭欄。 依頼原稿 「全国難聴者連絡協議会広報部長」 名義にて)

 (歌仙連句 「俤の巻」 36句満尾 昭和55年3月31日  高橋英子さんと両吟。 昭和54年9月4日起のもの  )

 ★4月

 ○ 「風花の眺め (一)」 (花泉4月号) 連載はじまる。

 ★5月

 ○ 「風花の眺め (二)」 (花泉5月号)

★6月

 ○ 「風花の眺め (三)」 (花泉6月号)

 (「師父語録」 抽出 昭和35年まで)

 ★7月

 ○ 「風花の眺め (四)」 (花泉7月号)

 (「師父語録」 抽出 昭和36年まで)

 ★8月

 ○ 「風花の眺め (五)」 (花泉8月号)

 (「師父語録」 抽出 昭和37年まで)

 

 △ 「全国難聴者連絡協議会」 機関紙 季刊 『新しい明日』 の編集監修にたずさわる。 27号から。

  第27 (昭和55年8月13日付発行)

   担当記事

     ○ 「コラム・チクリ一筆」 (筆名・吾われ亦も紅こう)

     ○ 「総会アラカルト」 (筆名・ (津))

     ○ 「身障者合同まつり」 (本名)

     ○ 「廻し連句について」 (無記名)

     ○ 「体験ユーモア  誤解」 (筆名・青みかん)

 ○ 「耳のシンボルマーク普及を」 (毎日新聞和歌山版 「日曜ひろば― 「声」 欄」

 ★9月

 ○ 「風花の眺め (六)」 (花泉9月号)

 ★10

 ○ 「風花の眺め (七)」 (花泉10月号)

   「師父語録」 抽出 昭和39年まで

 ★11

 ○ 「風花の眺め (八)」 (花泉11月号)

 △ 「全難聴」 機関紙 『新しい明日』 編集

   第28 (昭和551115日発行)

   担当記事

     ○ 「コラム・チクリ一筆」 (筆名・吾亦紅)

     ○ 「和と団結  三つの誓い」 (全難聴の 「標語」 1116日、 理事会で採択)

     ○ 「詩  人間」 (筆名・名な草ぐさ葉よう子こ)

     その他

 ★12

 ○ 「風花の眺め (九)」 (花泉12月号)

   「師父語録」 抽出 昭和42年まで

   「全難聴」 廻し連句

 ○脇起し歌仙 「芭蕉野分して」 の巻 三吟 入谷仙介・高橋英子・津名

 ○脇起し歌仙 「山桜」 の巻 両吟 高橋・津名 1029日満尾

 

◆昭和56 1981

 ★1月

 ○ 「風花の眺め (十)」 (花泉1月号)

 

 △ 「全国難聴者連絡協議会」 機関紙  『新しい明日』 の編集

   第29 (昭和56年1月20日付発行)

   担当記事

     ○ 「コラム・チクリ一筆」 (筆名・吾亦紅)

     ○ 「体験ユーモア」 (筆名・おっちょ子)

     ○ 「全難聴廻し連句」

     ○ 「編集後記」

 

 ○講演 「統合保育としての障害児問題の実際  自身の障害児体験をふまえて」 (和歌山市保育協議会公立支部 昭和55年度研修大会 昭和56年1月24日)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 十四 福祉社会の底の諸問題  ことばの背後にあるもの」 (誕生日ありがとう運動 ボランティアのしおり 1月号)

  (昭和5210月号にて病気休載のもの。 復活継続再掲)

 ★2月

 ○ 「風花の眺め (十一)」 (花泉2月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 十五 福祉社会の底の諸問題  ことばの背後にあるもの」 (つづき) 工業社会・管理構造の進行にともない人間を扱うことばも物質化した」

  (ボランティアのしおり 2月号)

 ★3月

 ○ 「風花の眺め (十二)」 (花泉3月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 十六 福祉社会の底の諸問題  ことばの背後にあるもの」 (つづき)  障害者という語」 (ボランティアのしおり 3月号)

 (全難聴機関紙 『新しい明日』 4月発行の第30号より、 編集監修だけでなく、 編集実務の一切の責を負うことになり、 多忙となる)

 (「師父語録」 抽出 昭和44年まで)

 ★4月

 ○ 「風花の眺め (十三)」 (花泉4月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 十七 福祉社会の底の諸問題  言葉の背後にあるもの」 (つづき)  障害者という語 (その二)」 (ボランティアのしおり 4月号)

 

 △全難聴機関紙 『新しい明日』 編集

   第30 (昭和56年4月15日発行)

   担当記事

     ○ 「コラム・チクリ一筆」 (筆名・吾亦紅)

     ○ 「拝啓 NHK様 聴覚障害者の 「テレビ字幕」 切望は、 情報享受 「参加」 への願いです」

     ○ 「各地の話題  和歌山」

     ○ 「国障年投稿」 (筆名・紀き柑かん坊ぼう)

     ○ 「編集後記」 その他

 

   「師父語録」 抽出 昭和45年まで

 ★5月

 ○ 「風花の眺め (十四)」 (花泉5月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 十八 福祉社会の底の諸問題  ことばの背後にあるもの みょうなところで使われる心情的ことば」 (ボランティアのしおり 5月号)

 ○講話  幼児期に心を育てることの大切さ (和歌山市立川永保育所 昭和56年5月30日)

 ★6月

 ○ 「風花の眺め (十五)」 (花泉6月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 十九 福祉社会の底の諸問題  ことばの背後にあるもの みょうなところで使われる心情的ことば」 (ボランティアのしおり 6月号)

 ★7月

 ○ 「風花の眺め (十六)」 (花泉7月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 二十 福祉社会の底の諸問題  ことばの背後にあるもの みょうなところで使われる心情的ことば 追記 ―ある踏み絵―コウモリの悲哀」 (ボランティアのしおり 7月号)

 

  △全難聴機関紙 『新しい明日』 編集

   第31 (昭和56年7月15日)

   担当記事

     ○コラム 「チクリ一筆」

     ○ 「医療情報―電子の耳 (人工内耳)」

     ○ 「要約筆記」

     ○ 「ストマイ訴訟・控訴審」 その他

 

  「師父語録」 抽出 没年 (昭和52年) まで一応完了。 満四年祥月御命日 (昭和56年7月12日) までに完了との予定どおり一応運ぶ。 目次と推敲、 解説は今後一年間に。

 ★8月

 ○ 「風花の眺め (十七)」 (花泉8月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 二十一 福祉社会の底の諸問題  ことばの背後にあるもの みょうなところで使われる心情的ことば 〈追記〉ある踏み絵―こうもりの悲哀」 (ボランティアのしおり 8月号)

 ○講演 「人間の交わりとは?  身障者の立場から」

 (国際障害者年記念・社会福祉県民講座

   主催 和歌山県社会福祉協議会・新宮市・新宮市社会福祉協議会

   後援 和歌山県

   場所 新宮市福祉センター

   日時 昭和56年8月8日

 ○新聞記事 (依頼稿) 「一聴障者として思うこと  〈参加〉遅れる 「見えない障害」 〈平等〉はばむ 「救済的発想」 (毎日新聞大阪本社版 昭和56年8月11日朝刊 '81 国際障害者年 「共に生きる」 シリーズ欄)

 ★9月

 ○ 「風花の眺め (十八)」 (花泉9月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 二十二 W 交わりの人間学 1、 人間とは」 (ボランティアのしおり 9月号)

 ○講演 「わたしの身障児体験と、 幼年期に情を深く味わう教育の大切さ」 (和歌山市立川永小学校育友会依頼 昭和56年9月13日 於 川永小学校講堂)

 新聞記事 (依頼稿)

 ○ 「国際障害者年 人間」 (毎日新聞和歌山版 日曜ひろば 「評」 欄 四回連載の第1回め) (昭和56年9月13日 日曜)

 ★10

 ○ 「風花の眺め (十九)」 (花泉10月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 二十三 W 交わりの人間学 1、 人間とは (つづき)」 (ボランティアのしおり 10月号)

 △全難聴機関紙 『新しい明日』 編集

   第32 (昭和561015日発行)

   担当記事

     ○コラム 「チクリ一筆」

     ○医療情報 「兵庫イアーバンク」

     ○補聴機器情報 「電話ファックス」

     ○各地の話題

     ○全難聴廻し連句 「芭蕉野分しての巻」

     ○体験ユーモア 「聞きごたえと音無し (おとなし)」

     ○編集後記、 その他

 

 新聞記事 (依頼稿)

 ○ 「国際障害者年 参加」 (毎日新聞和歌山版 日曜ひろば 「評」 欄 四回連載の第二回め) (昭和561011日 日曜)

 ○ 「のら犬聴障者の手づくり人生」 『青い空を求めて―障害者の声』 国際障害者年記念出版 編集・発行 石本泰二氏 昭和5610月1日発行 印刷 石本プリント 和歌山市南中間町 この本への寄稿)

 ★11

 ○ 「風花の眺め (二十)」 (花泉11月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 二十四 W 交わりの人間学 1、 人間とは (つづき)」 (ボランティアのしおり 11月号)

 新聞記事 (依頼稿)

 ○ 「国際障害者年 平等」 (毎日新聞和歌山版 日曜ひろば 「評」 欄 4回連載の第3回め昭和5611月8日 日曜)

 ○ 「国際障害者年 祭りのあと」 (同上 第4回め 昭和561129日)

 ★12

 ○ 「風花の眺め (二十一)」 (花泉12月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 25 W 交わりの人間学 1 人間とは (つづき)」 (ボランティアのしおり 12月号)

 ○講演 「人間―その生きる資格と生きる権利」 (場所 和歌山県橋本市中央公民館 日時

昭和5612月6日 午後2〜4時)

 ○新聞記事 (但し 電話による取材応答) 「雇用の開拓こそ最大の期待」 (毎日新聞全国版

昭和5612月9日号 「完全参加と平等」 進んだか、 障害者から見た国際年 '81 特集 

国際障害者年シリーズ最終回)

 

◆昭和57 1985

 ★1月

 ○ 「史談・飛ひ花か残ざん心しん 第一話 倶く会え一いっ処しょ  薄紅梅の人 その1 山科」 (花泉新連載1月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 26 W 交わりの人間学 1 人間とは (つづき)」 (誕生日ありがとう運動のしおり 1月号)

 ○ 「わたしの初夢」 (新聞 「ニュース和歌山」 1月3日号)

 △全難聴機関紙 『新しい明日』 編集

  第33 (昭和57年1月15日発行)

   担当記事

      ○第三回全国難聴者研究大会 (於松江市) 報告

      ○西尾亮氏追悼

      ○新連載レポ すばらしい仲間たち@

        紀州みかん新品種開発にかけた20年の苦闘 宮本喜次さん

      ○国際難聴連へ四月から加盟  解説報告

      ○編集後記 (その他)

 

 ○校註版 『祖母臨終日記』 原作・津名輝房 (明治40年 1907 浄書・校註 津名道代 (昭和57年 1982 (明治40年の夏、 祖父輝房の京都帝国大学学生時代の作。 当時の民俗資料としても面白いので、 この正月に精しい校註をつけたもの。)

 ★2月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その2 発想源第三層」 (花泉2月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 27 W 交わりの人間学 1 人間とは (つづき)」 (誕生日ありがとう運動のしおり 2月号)

 ★3月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その3 かるみ」 (花泉3月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 28 W 交わりの人間学 1 人間とは (つづき)」 (誕生日ありがとう運動のしおり 3月号)

 ★4月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その4 天の演習」 (花泉4月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 29 W 交わりの人間学 1 人間とは (つづき)」 (誕生日ありがとう運動のしおり 4月号)

 ○新聞記事 「耳のシンボルマーク 念願の使用実現を喜ぶ」 (毎日新聞 57年4月11日 

和歌山版 「日曜ひろば  声」 欄)

 

 △全難聴機関紙 『新しい明日』 編集

  第34 (昭和57年4月15日発行)

   担当記事

     ○特集 電子技術とわれら難聴者 U

     ○ニュース速報 TV文字多重放送

     ○新刊書紹介 林瓢介著 「詩集南の花」

     ○各地の話題

     ○編集後記、 その他

 

 ★5月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その6 やま里」 (花泉5月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 30 W 交わりの人間学 1 人間とは (つづき)」

  (誕生日ありがとう運動のしおり 5月号)

 ○ 「『人非有品……』 をめぐって 妹尾さんへ、 年賀状差出人の弁」 (岡山聴障会報 昭和57年5月号)

 ★6月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その6 武士と百姓」 (花泉6月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 31 W 交わりの人間学 1 人間とは (つづき)」

  (誕生日ありがとう運動のしおり 6月号)

 ★7月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その7 堪えの果ての情念暴発」 (花泉7月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 32 W 交わりの人間学 1 人間とは (つづき)」

  (誕生日ありがとう運動のしおり 7月号)

 ○ 「時を劈さくかがり火」 (紀州一ノ宮・日前国懸神宮 第七回薪能パンフレット)

 

 △全難聴機関紙 『新しい明日』 編集

  第35 (昭和57年7月15日発行)

   担当記事

     ○ (論説) 「故林会長の何を継ぐべきか」

     ○ 「葬送の記」

     ○編集後記、 その他

 ★8月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その8 列島、 横なる差別」 (花泉8月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 33 W 交わりの人間学 2 交わりとは (つづき)」 (誕生日ありがとう運動のしおり 8月号)

 ★9月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その9 鮒ふな」 (花泉9月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 34 W 交わりの人間学 2 交わりとは (つづき)」 (誕生日ありがとう運動のしおり 9月号)

 △全難聴機関紙 『新しい明日』 編集

  第36 (昭和57年7月15日発行)

   担当記事

     ○要約筆記 始めてTVで全国放映

     ○テレビ文字多重放送実現へ

     ○てんさいヒフミくん (筆名 名な草ぐさ葉よう子こ)

     ○ふしぎ三題 (筆名 未み知ち世よ)

     ○編集後記 その他

 

 ★10

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その10  「弾だん正じょう」 の謎」 (花泉10月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 35 W 交わりの人間学 2 交わりとは (つづき)」 (誕生日ありがとう運動のしおり 10月号)

 ★11

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その11 みちくる潮」 (花泉11月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 36 W 交わりの人間学 2 交わりとは (つづき)」 (誕生日ありがとう運動のしおり 11月号)

 ★12

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その12 狐きつね火び」 (花泉12月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 37 W 交わりの人間学 3 交わりの種々相 (ボランティアは可能か)」 (誕生日ありがとう運動のしおり 12月号)

 

 12月6日 和歌山社会経済研究所主催 〔座談会〕

 ○ 「本音で語る 辛口文化論」 (昭和58年3月の項にあり)

 

 △全難聴機関紙 『新しい明日』 編集

  第37 (昭和571220日発行)

   担当記事

     ○国際難聴連盟 (IFHOH) 「シンボルマーク」 募集に応じよう

     ○新刊書紹介 『難聴―それを克服するために』

     ○東京大会をふり返る

     ○編集後記 その他

 

◆昭和58 1983

 (8月で満50歳になる)

 ★1月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その13  「蜩ひぐらし」 の構え」 (花泉1月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 38 W 交わりの人間学 3 交わりの種々相 (ボランティアは可能か) (つづき)」 (誕生日ありがとう運動のしおり 1月号)

 ★2月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その14 密約」 (花泉2月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 39 W 交わりの人間学 3 交わりの種々相 (ボランティアは可能か)」 (誕生日ありがとう運動のしおり 2月号)

 ★3月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その15 桔き梗きょうの水 (花泉3月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 40 W 交わりの人間学 3 交わりの種々相 (ボランティアは可能か)」 (誕生日ありがとう運動のしおり 3月号)

 

 △全難聴機関紙 『新しい明日』 編集

  第38 (昭和58年3月21日発行)

   担当記事

     ○チクリ一筆 (コラム欄)

     ○ 「全難聴」 の活動 はじめて国際舞台へ報告

     ○新刊書紹介

     ○編集後記 その他

 

 ○座談会 「本音で語るからくち文化論」 (和歌山社会経済研究所刊 21世紀わかやま

 第3号 昭和58年3月30日発行 所載)

 3月末で神戸松蔭女子学院大学非常勤講師を退く。

 〃 津名塾を閉じる。

 〃 京都市山科に部屋を借りる。

 

 ★4月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その16 心月 (花泉4月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 41 W 交わりの人間学 3 交わりの種々相 (ボランティアは可能か) (つづき)」 (誕生日ありがとう運動のしおり 4月号)

 ★5月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その17 主税 ちから」 (花泉5月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 42 W 交わりの人間学 3 交わりの種々相 (ボランティアは可能か) (つづき)」 (誕生日ありがとう運動のしおり 5月号)

 ★6月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その18 ふる里 (一)  (花泉6月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 43 W 交わりの人間学 3 交わりの種々相 (ボランティアは可能か) (つづき)」 (誕生日ありがとう運動のしおり 6月号)

 

 △全難聴機関紙 『新しい明日』 編集

  第39 (昭和58年6月27日発行)

   担当記事

     ○チクリ一筆 (コラム欄)

     ○新刊書紹介

     ○編集後記

     ○各地の話題 その他

 

 ★7月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その19 ふる里 (二)  (花泉7月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 44 W 交わりの人間学 3 交わりの種々相 (ボランティアは可能か) (つづき)」 (誕生日ありがとう運動のしおり 7月号)

 ○ 「土間のある暮らし (特集・土とのであい)」 (子どもの未来を語る雑誌 月刊 「芽」 '83年七月号 誠文堂新光社)

 ★8月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その20 ふる里 (三)  (花泉8月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 45 W 交わりの人間学 3 交わりの種々相 (ボランティアは可能か) (つづき)」 (誕生日ありがとう運動のしおり 8月号)

 ○ 「共に手をとって聴障者の明日を拓く道を」 (聴力障害者のあかるい生活のための雑誌

 「みみより」 創刊300号記念 8月号)

 ★9月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その21 憤り・第二の根 (花泉9月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 46 W 交わりの人間学 3 交わりの種々相 (ボランティアは可能か) (つづき)」 (誕生日ありがとう運動のしおり 9月号)

 ○ 「人間にとって交わりとは」   シリーズ ボランティアの哲学21   (月刊ボランティア 第188号 大阪ボランティア協会機関紙)

 

 △全難聴機関紙 『新しい明日』 編集

  第40 (昭和58年9月30日発行)

   担当記事

     ○ 「聴覚障害者の中における 『中途失聴』 『ろうあ』 『難聴』 の実態とその語義の明確化への一試論」 第一回 (  提言  実態をふまえ法・施策体系の再検討を)

     ○ 「消えていた公衆電話めいりょう」 (補聴機器情報  難聴者用電話活用できているか?)

     ○新刊書紹介

     ○編集後記 その他

 

 ★10

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その22 白はく山さん神徒 「田原」 族の謎 (花泉10月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 47 W 交わりの人間学 3 交わりの種々相 (ボランティアは可能か) (つづき)」 (誕生日ありがとう運動のしおり 10月号)

 ★11

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その23 塩の心 (花泉11月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 48 W 交わりの人間学 3 交わりの種々相 (ボランティアは可能か) (つづき)」 (誕生日ありがとう運動のしおり 10月号)

 ★12

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その24 石塔 (一) (花泉12月号)

 ○ 「コウモリによるボランティア雑感 49 W 交わりの人間学 3 交わりの種々相 (ボランティアは可能か) (つづき)」 (誕生日ありがとう運動のしおり 12月号)

昭和51年4月号より連載の、 「コウモリによるボランティア雑感」 は、 12月で完結した。 翌年に単行本として刊行予定に。

◆昭和59 1984

 ★1月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その25 石塔 (二) (花泉1月号)

 

 △全難聴機関紙 『新しい明日』 編集

  第41 (昭和59年1月6日発行)

   担当記事

     ○ 「聴覚障害者の中における 『中途失聴』 『ろうあ』 『難聴』 の実態とその語義の明確化への一試論」 第二回 (  提言  実態をふまえ法・施策体系の再検討を)

     ○ 「朝日新聞社の朝日福祉資金を磁気ループを購入  和歌山難聴者協会」

     ○新刊書紹介  岩淵紀雄著 「燃える手で、 友よ!」

     ○編集後記 その他

 

 ★2月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その26 のこる言の葉 (花泉2月号)

 ○ 「補聴器使用者の体験手記」 (保険同人社 月刊誌 『暮らしと健康』 '84年2月号特集

   「補聴器を使いこなす」   難聴者の悩みのすべてにこたえる〃のうち

 ★3月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その27 濘しる谷たに越え (花泉3月号)

 ○ 「私と補聴器  多目的補聴器の開発を」 ベター・コミュニケーション研究会編 『補聴器基本編 3号』 昭和59年2月19日発行。 (2月 『暮らしと健康』 に所載されたものは、 この稿の転載。 保険同人社の方が出版が早くなった。)

 ★4月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その28 山科晩秋 (花泉4月号)

 

 △全国難聴者連絡協議会 機関紙 『新しい明日』 編集

  第42 (昭和59年4月30日発行)

   担当記事

     ○ 「聴覚障害者の中における 『中途失聴』 『ろうあ』 『難聴』 の実態とその語義の明確化への一試論」 第三回 (  提言  実態をふまえ法・施策体系の再検討を)

     ○みんなのひろば 討論のおすすめ

     ○編集後記 その他

 

 ★5月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その29 捨てられたものの道 (花泉5月号)

 ★6月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その30 首級の臭い 野梅の香 (花泉6月号)

 ★7月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その31 あら楽らくや」 (花泉7月号)

 ★8月

 ○ 「倶会一処  薄紅梅の人 その32 余聞 (花泉8月号)

 昭和57年1月より 「花泉」 誌連載の右 「倶会一処  薄紅梅の人」 は、 今回32回で完結した。 なおこの作品は、 同じく 「花泉」 誌連載の 「元禄師弟道中  芭蕉星座」 (花泉昭和48年5月号〜52年7月号) 及び、 「松まつ蔭かげの日記  柳沢吉保とその妻」 と共に、 「史談・飛花残心」 の三部作をなすものである。

 ○ 「いのち、 その光と闇のはざまで  女の思いと願い」 (子どもの未来を語る雑誌・月刊 『芽』 8月号 誠文堂新光社 特集・いのちをみつめる)

 ○ 「聴覚障害者の中における 『中途失聴』 『ろうあ』 『難聴』 の実態と、 その語義の明確化への一試論」 第4回 (全難聴機関紙 『新しい明日』 43号 昭和59年8月22日発行)

 43号より編集長を編集部員・田島政雄氏に代わってもらう。 副会長 (論説担当・婦人部準備担当) をつとめる。

 ○講演 「自己をゆさぶるということ」 (主催・和歌山市小学校校長会    道徳教育研修会

場所・和歌山市立教育文化センター 日時・昭和59年8月18日午前9時から11時半)

 ★10

 ○ 『日本の宗教的人間  隠れたる道の人びと』 改訂新版 「あとがき」 (昭和591012日筆)

 ★11

 ○ 「聴覚障害者の中における 『中途失聴』 『ろうあ』 『難聴』 の実態と、 その語義の明確化への一試論」 第5回 (完結) (全難聴機関紙 『新しい明日』 44号 昭和5911月5日発行)

 

◆昭和60 1985

 ★1月

  調査 昭和58年4月以来、 山科に部屋を借りて和歌山の自宅と往復していたが、 「史談・飛花残心」 のうちの 『倶会一処  薄紅梅の人』 連載完了後、 かねて調べはじめていた神社を中心に、 古代の日置・舟木氏の立地につき、 調べにピッチが上がった。 同時に、 右から古代の信仰の実態 (政治との関係もからめて) に食い込んでいる。

  昭和5910月頃から、 連日連夜没頭し、 60日に及ぶ。

  これほどの熱中は、 学生時代を含めて、 過去、 師父逝去の日より一年間 「師父抄」 を書き継いだ昭和52年7月12日〜53年7月12日以外、 例を見ない。

  @全国の部とA紀伊半島の部の双方であるが、 Aはこの1月6日、 ひとつの基本デザインを終了した。

  @についても、 基本部および問題点は浮かび上がった。

  困った問題に頭を突っ込んだものと思う。

 ★2月

 〔著書出版〕

  『改訂新版 日本の宗教的人間  隠れたる道の人びと』

  発    所 東京 河出書房新社

  発    者 清水   

  カバー装画 小野 元衛

  装 成 広瀬  郁

  印    所 暁 印 刷

  製   本 小泉製本

  発行年月日 昭和60年2月28

        (昭和481122日 初版発行)

        B6判 273ページ

  定   価 1,700

 初版は昭和481122 (母上4ヶ月命日) に同じ河出書房新社より刊行したもの。

この年母上の13回忌にも当たり、 58年より再版の準備をしていたものである。

 内容は初版を基本とし、 一部加筆、 またルビの大幅増加、 補注付加など、 本文に総検討を加えた。

 なお、 改訂新版あとがきに記したように、 初版装丁原画作者・故小野元衛氏のご遺族との奇しき出会いが一昨年夏にあり、 ご令妹志村ふくみ氏のご好意で、 装丁原画を再び小野氏の

代表遺作で飾ることができた。

 

 ★3月

 ○講演 「中途失聴・難聴者の現状と福祉」 (第2回全国要約筆記指導者養成講座 3月23日、 24日 於 京都教育文化センター)

 新聞記事 「ニュース和歌山」 紙 3月23 (土) 『交わりの人間学  障害者によるボランティア論』 5月刊行予定の記事 (取材  南恵子記者)

 ★4月

 ○講演 「障害者の自立について考える」 (第2回コミュニテ・ケアを考える集い 地域で生きる障害者 とき・4月13日 午後2時〜4時 ところ・大阪府高槻市民会館402号室

主催・聖ヨハネ児童養育センター)

 新聞記事 毎日新聞 (大阪本社版) 昭和60年4月16 (火) 朝刊 「宗教・人生」 欄に 『日本の宗教的人間 (改訂新版)』 の書評載る。

 (2月頃より、 持病メニエル発作、 頻発。 無理押しして、 4月一6日、 神経衰弱となりおおいに苦しみ、 生活頓挫す)

 ★7月

 ○随想 「女神の幻」 「霊場紀三井寺」 紙 7月号  紀三井寺月刊紙 7/15刊)

 (6月は次の刊行 『交わりの人間学  障害者によるボランティア論』 の初校に、 おおいに手こづる) (8月も右再校)

 ★8月

 ○追悼 「志のひと大沼さん  玉砕した清らかな魂  」 (東北難聴者友の会機関紙 「やまびこ」 13号 昭和60年8月10日刊)

 ★10

 記事 (これは書かれた側) 寿じゅ岳がく章あき子 「聞こえなくても  あるすばらしいひと」 「京都聴言ニュース」 193 198510月1日刊)

 〔著書出版〕

  『交わりの人間学  障害者によるボランティア論』

  発    所 東京 河出書房新社

  発    者 清水  勝

  装   幀 田澤  司

  印    所 葛摎L堂印刷所

  製   本 小泉製本

  発行年月日 19851030

        初版発行

        B6判 311ページ

  定   価 1,800

 私にとって身障福祉関係では初めての著書である。

 この元稿は、 「誕生日ありがとう運動」 「ボランティアのしおり」 (月刊機関紙) に昭和51年4月から昭和5812月まで連載したものである。 (但し、 途中、 昭和5211月  5512月号は病気休載)

 連載の時の題は、 「コウモリによるボランティア雑感」。

 単行本化にさいし、 前・後篇に分け、 章・節を整理したが、 本文は、 連載時の語り口と時期の流れはそのまま生かした。

 前篇の3章 「福祉社会の底の諸問題」 のうち、 1節 「普通学級の障害児」 (5) 「放置と誤解の中の孤独  聴覚障害のばあい」 は、 追加稿である。

 

 ★11

 ○講演 「中途失聴・難聴者の現状と福祉」 於・兵庫県川西市福祉センター

  11月頃より、 父上の痴呆化急に進み、 大小便ふりまき、 徘徊、 日夜目をはなせずなる。

 よって一人での介護に日夜自身の食事、 就寝もままならず、 おむつなども当てるあとからはずし、 着衣、 布団など、 洗濯機一日中作動するも、 寒中ゆえ乾かず、 もはやこちらも疲労困憊の域を過ぐ。 欲求に応じぬと電話119を廻し、 去年・今年歳末2度救急車が来た。 また障子紙にライターで火を付ける。

 歳末、 年始などどこかへ吹っとぶ。

 1月15日、 特別養護老人ホーム喜成会へ種々手続きして、 ともかく短期入所をはかる。)

 

◆昭和61 1986

 ★1月

 歳末より前記父上の状況にて仕事一切できず、 断る。

 1月15日、 入所。 ともかくほっとするも、 種々関連の用事にて、 喜成会へ連日往復、 疲労の集積にて、 こちらもメニエル発作あいつぐ。

 しかし、 昨年末、 多田佳世子氏の依頼にてサンケイ新聞和歌山版に連載続つづき物ものの話あり。

よって 「紀州の情念」 と総題した、 その風土精神史的素描を思い立ち (つまり 『日本の宗教的人間』 で試みたような一貫性のあるものを、 紀州において試みようと  土蜘蛛、 名草戸ト畔ベから南方熊楠、 岡潔までのかたちで  )、 まずはその 「古代篇」 を稿をなし、

 序   「一身に噴出 つれもて行かない」

 古代篇

 1、 土蜘蛛と神の楠  木の国・鬼の国情念起源

 2、 名草戸畔  紀北 「小型ヒミコ」 の鬼き哭こく

 3、 大地母神イザナミ  熊野情念の基層

 4、 清姫  紀州女の鬱屈

 5、 弘法大師  紀州と兜と卒そつ天てんとのかけ橋」

として届けるも、 何を書いてあるかわからぬ  という。 「清姫」 だけをとり出して、 もう少し長くしろ、 という。

 

 新聞記事 「ニュース和歌山」 紙1月18 (土)

障害者とボランティアの立場から 「交わりの人間学」 を出版(記事執筆は南恵子記者)

 ★2月

 年頭より上記家庭の事情より、 仕事ほとんど出来ず。 今年は出版 (「倶会一処」) もむずかしくなった。 (「倶会一処」 20年後、 平成14年9月  赤穂浪士討入り300周年  に 『内蔵助、 蜩の構え』 の題で出版された。)

 サンケイ和歌山支局より、 前記の通り 「清姫」 を再稿連載のこと、 言いくる。 4月から連載とのこと。 よって、 あまり気が進まぬが書くことにする。

 ★4月

 サンケイ新聞和歌山版 (毎週火曜朝刊) 「清姫は語る」 連載はじまる (全22回の予定)

 ○ 「なぜ道成寺なのか」 第1回 (4月8日)

 ○ 「紀州の女」 第2回 (4月15日)

 ○ 「真ま砂なご  古代採鉱民の里」 第3回 (4月22日)

 ○ 「追いつめられていた採鉱民」 第4回 (4月29日)

 全国難聴者連絡協議会機関紙 『新しい明日』 50号 昭和61年4月15日発行) 50号 記念特集。

 ○ 「感謝のなかでふり返る 前編集者」

 ○ 「みんな わになれ  それぞれの出合いの中で」 〈誕生日ありがとう運動・京都友の会15周年記念誌〉を読む」 (同運動京都友の会会報 「青空」 4月号へ寄稿)

 △書評 矢野隆夫氏 「津名道代さんへの手紙」 (京都白川学園誌 「つくも」 227号 昭和61年4月10日発行) 『交わりの人間学』 への評)

 ★5月

 サンケイ新聞和歌山版 (毎週火曜朝刊) 「清姫は語る」

 ○ 「安珍と鉱の道」 第5回 (5月6日)

 ○ 「変わりゆく祭神」 第6回 (5月13日)

 ○ 「五彩輝く竜蛇の脊梁」 第7回 (5月20日)

 ○ 「揺れる桔梗」 第8回 (5月27日)

 ★6月

 サンケイ新聞和歌山版 (毎週火曜朝刊) 「清姫は語る」

 ○ 「鉱床秘図」 第9回 (6月3日)

 ○ 「擬死再生の行ぎょう場ば」 10 (6月10日)

  (このあと、 和歌山市長選挙6月22日、 衆議両議院議員同一選挙7月6日があり、 紙面の都合で、 四週間休み)

 ★7月

 サンケイ新聞和歌山版 (毎週火曜朝刊) 「清姫は語る」

 ○ 「安珍 二重の裏切り」 11 (7月15日)

 ○ 「姉性の怒り」 12 (7月22日)

 ○ 「地霊の声」 13 (7月29日)

 ★8月

 サンケイ新聞和歌山版 (毎週火曜朝刊) 「清姫は語る」

 ○ 「変身」 14 (8月5日)

 ○ 「南紀竜蛇族」 15 (8月12日)

 ○ 「〈道行き〉と熊野比丘尼」 16 (8月19日)

 △新聞記事 朝日新聞 '86年8月22日朝刊 全国版 こころのページ 「聴力ゼロの世界から 人間の交わりを問う  和歌山の津名さん」

 ○ 「宮子姫の抵抗」 17 (8月26日)

 ★9月

 サンケイ新聞和歌山版 (毎週火曜朝刊) 「清姫は語る」

 ○ 「日高川と白馬山脈」 18 (9月2日)

 ○ 「釣鐘」 19 (9月9日)

 ○ 「清姫の帯」 20 (9月16日)

 ○ 「道成寺二体本尊の謎」 21 (9月23日)

 ○ 「壮大な地上マンダラ」 22 (9月30日)

  (以上で22回の連載完了。 但し、 原稿料ゼロなり。 驚き也)

 ○講演 「願に生きること・利に生きること  お彼岸に考える」 (とき・9月23日 彼岸中日 ところ・和歌山市有田市辻堂 護念山称名寺彼岸法要講演会)

 ★11

 ○ 「第2回 全難聴婦人分科会 (於、 滋賀大会) に寄せて」 「ゆずり葉」 第2号所載)

 ○講演 「清姫への道」 (とき・11月8日 午後7時から9時 ところ・和歌山市真砂町紀ノ国会館)

 ★12

 ○講演 「人間の交わり 難聴者と要約筆記者の交わり」 (とき・1214日午後1時半から4時 ところ・兵庫県宝塚市 宝塚総合福祉センター)

 ○ 「聞こえぬとはどういうことか?社会生活のあらゆる場面で起きる 「コミュニケーション障害」 に理解を  三笠宮寛仁親王殿下への手紙@」 (全国難聴者連絡協議会機関紙 『新しい明日』 53 「視点」 欄 611222日刊)

 

◆昭和62 1987

 ○エッセイ 「人間のいる風景」 (挿し絵も) (新義真言宗延命院機関紙 「延命」 17号 昭和62年1月1日発行)

 

 昨秋より 「清姫は語る」 関連稿として、 「清姫への道」 を思いたち、 調べを続ける。 だいたい清姫については、 これまで女の怨念方面からのみ語られてきたが、 その物語の背景には、 日本史のカゲの部分が曳影している。

 カギは

 1、 蛇  先住竜蛇族 (縄文系、 および海人系倭人)

 2、 山の民採鉱民

 3、 鉄杖 (伝統芸能における清姫の 「採とり物もの」)

 4、 (「桜」 地名と採鉱民とのつながり)

などである。

 1、 2、 は、 「清姫は語る」 の本文 (昨年サンケイ新聞連載) の背景をなす発想であったが、 更に3、 4、 「清姫への道」 として、 両者を含んだ一冊の本をまとめることを思い起ったのである。

 特に4、 は、 背後が深く、 またまた凝って、 調べに東奔西走となった。 「桜」 地名と銅鐸出土地とのダブリも見逃せない。

 困ったことになった。

 △懸案の 「倶会一処  薄紅梅の人」 を、 かつての職場の上司 (詩人) 天野忠氏の世話で、 大阪の 「編集工房ノア」 へ渡す。 (1月20日)

 ★2月

 「倶会一処  薄紅梅の人」 「元禄師弟道中  芭蕉星座」 「風花の眺め」 「お上りさんヨーロッパ一見」、 以上4篇の長篇、 すべて 「編集工房ノア」 より返送されてくる。

 出版社主K氏の手紙、 一理あれども、 作品への理解の尺度にいささかピント合わざるを感じ、書き直すならばとの申し出に、 一応は謝意を返事するも、 敢えて乗るを欲せず。 しばらくは、 このまま温存することとす。 昨今の出版大不況もあり、 当分、 出版への色気をだすことを断念す。 私の意味・価値に関わりなきことなり。 また別案として、 自費出版なら…との申し出もあったが辞退した。 父上の状況がどのように進行し、 いつまで続くか、 医療費のことを考えると、 とてもそんな余裕はない。 しかし、 あとで考えると、 もともと 「編集工房ノア」 は、 詩集や短歌・俳句などの、 自費出版中心の出版社であったはず。)

 ★3月

 ○講演 「難聴婦人の生活と実践  和と団結の大切さ」 (とき・3月1日 午後1時半から4時 ところ・京都市中央区みぶ身障福祉会館 主催・京都難聴協会婦人部)

 ○講演 「他ひ人とをも自分をも大切にする子を育てる」 (とき・3月27日 午後1時半から3時30分 ところ・和歌山県那賀郡岩出町役場第8会議室 主催・岩出町同和教育連絡協議会幼児部会…保育所・幼稚園・療育園職員)

 ○講演 「日本人の情念と桜」 (第1回) (とき・3月29日 午後6時〜8時半。 ところ・和歌山市真砂町県民文化会館4F)

 ★4月

 ○ 「聞こえぬとはどういうことか?社会生活のあらゆる場面で起きる 「コミュニケーション障害」 に理解を  三笠宮寛仁親王殿下への手紙A」 (全国難聴者連絡協議会機関紙 『新しい明日』 54 「視点」 欄 62年4月1日刊)

 ○講演 「紀州の男」 (とき・4月10日 午後1時〜1時半。  ところ・和歌山市真砂町紀ノ国会館  主催・和歌山南ロータリークラブ)

 ○講演 「日本人の情念と桜」 (第2回) (とき・4月11日 午後6時〜8時半。 ところ・和歌山県民文化会館4F)

 ○講演 「紀州の女」 (とき・4月17日 午後1時〜1時半。  ところ・和歌山市真砂町紀ノ国会館  主催・和歌山南ロータリークラブ)

 ○ 「法名の 『尼』 字について」 (これは毎日新聞4月22日夕刊の記事《お西さん、 男女均等法名、 女性示す 「尼」 不必要》を読み、 私見を、 浄土真宗本願寺派 「法式調査委員会」 宛送ったもの。 書簡形式)

 この書簡は、 下記5月参照。

 ★5月

 ○ 「〈尼〉抜き男女均等法名について」 の題で 「中外日報」 紙、 昭和62年5月13日号に、 そのまま掲載された (1頁分)。 なお別ページに、 同寺派勧学院その他種々の立場からの反応の声が載っていた。) 「中外日報」 紙は、 日本で一紙だけの、 佛教・神道その他の宗教界を合わせた、 戦前以来の日刊新聞である。

 ○講演 「日本人の情念と桜」 (第3回) (とき・5月9日 午後7時〜9時 ところ・和歌山県民文化会館4F)

 ○講演 「難聴ということ」 (とき・5月7日 12時半から1時半 ところ・和歌山市南汀みぎわ町 東急イン 主催・和歌山葵ライオンズクラブ)

 ★6月

 ○講演 「日本人の情念と桜」 (第4回) (とき・6月13日 午後7時〜9時半 ところ・和歌山県民文化会館4F)

 ★7月

 ○講演 「難聴障害と要約筆記」 (とき・7月5日 ところ・和歌山県那賀郡岩出町公民会館 和歌山県 「要約筆記者」 養成講座

 ○ 「聞こえぬとはどういうことか?社会生活のあらゆる場面で起きる 「コミュニケーション障害」 に理解を  三笠宮寛仁親王殿下への手紙B」 (全国難聴者連絡協議会機関紙 『新しい明日』 55 「視点」 欄 62年7月8日刊)

 ○講演 「日本人の情念と桜」 (第5回) (とき・7月11日 午後7時〜9時半 ところ・和歌山県民文化会館4F)

 ★8月

 ○講演 「聴覚障害児教育に〈情じょう〉の裏づけの大切さ」 (とき・8月9日 午後1時〜4時ところ・滋賀県立聾話学校附属湖南寮……滋賀県栗太郡栗東町川かわ辺づら)

 ★9月

 5月末頃より体調悪く、 夏ことに消化器に異和感と不断の鈍痛あり。 かつ体のだるさ得もいえず、 疲れ易きこと、 異例なり。 8月末、 やっと愛生会山科病院で診療。 胃潰瘍の疑い。 肝臓に異常発見。 非A非B型肝炎 (現在のC型肝炎)。 よって治療を続けることになる。

 ★10

 ひきつづき肝臓の治療。

 11月9日予定の大阪府金剛コロニーの講演、 1121日〜23日の全難聴研究大会、 1221日の宝塚難聴者協会講演、 すべてキャンセルす。

 ★11

 ○ 「人の心は何によって育てられるか  世の実相を遊びやお話のなかで教えた叡智」 (月刊 「芽」 '8711月号 11月1日刊 特集・子育て今昔 誠文堂新光社)

 ○提言 「聞こえぬとはどういうことか?聴覚コミュニケーション障害に理解を@大病院は 「聞こえぬ人間」 に配慮を」 (「障害者の福祉」 '8711月号 11月1日刊 日本障害者リハビリテーション協会発行)

 

 〔著書出版〕

  『聴覚障害への理解を求めて 発言@』

  発    所 全国難聴者連絡協議会

  発    者 入谷 仙介

  装   幀 著   者

  印    所 有限会社 石本プリント

  発行年月日 19871112

        A5判 187ページ

  定   価 1,200

 

 これは自費出版である。 第T部 聴覚障害 第U部 国際障害者年 の二部構成。

 昭和52年から62年の10年間の論稿・短エッセイ・講演などを、 分野に分類構成。

 第T部は、 全難聴結成前夜から、 同広報部長として機関紙 「新しい明日」 の編集にたずさわった立場を中心に、 同紙や、 一般新聞などに書いたものを主とする。 「難聴者の〈心の餓え〉を埋めるくふう  現象の奥 心の〃聴〃の世界  」 の一篇だけ、 書き下ろし。

 第U部は、 第T部の立場をふまえながら、 ひろく障害者と社会の問題につき、 一般新聞に書いたものが中心である。

 講演は、 ページ数の関係もあり、 一篇のみ (のちに要約を雑誌に記したもの)。

 ▼編集・装幀・イラスト・校正などは、 著者自身。 印刷は 「新しい明日」 の印刷をしてもらっていた石本プリント (和歌山市) に世話になった。

 (なお、 この本は、 日本軽印刷協会の品評会で、 本年度の 「レイアウト賞」 を受賞した。 出品作のうち最も質素シンプルな造本だったが、 本文のレイアウトの工夫や、 表紙に目次をアレンジしたアイディアなどが評価された、 と石本さんの話。 それで、 自分勝手に賞品を自分に買ってあげた。 「のらくろ」 が起床ラッパを吹く目覚まし時計である。 但し、 多分、 聞こえないだろう。)

 ★12

  『聴覚障害への理解を求めて 発言@』 の新聞記事

   毎日新聞 (和歌山版) 昭和621210 (朝刊)

   朝日新聞 (全国版)  昭和621214 (朝刊)

   毎日新聞 (全国版)  昭和621224 (夕刊) 文化欄 「ほん」

 このうち、 「朝日」 のものは、 連絡先として発行所と著者の電話番号のみ載せたので、 あと、 申込者にも大変ご迷惑をかけた。 聴覚障害者団体(電話ができない)の出版物を扱うのに、 記者の不認識である。 (電話でなく、 ミニ・ファクスの番号なので、 頭に MF があり、 それが記事に抜け落ちていた。)

  「毎日」 のほうは、 全国版も寸評ながら、 内容をじつによく把握した紹介で、 発行所 (全難聴) の住所明記。 和歌山版は振込口座番号まで添えてあった。 心がこもっている。

 なお、 私の著書は、 これで、 昭和48年以降の出版物全部、 新聞の全国版に紹介されたことになる。 殊に 「毎日」 の文化面 「ほん」 欄は三度目である。

 

◆昭和63 1988

 ★1月

  『聴覚障害への理解を求めて 発言@』 の新聞紹介

  (再掲載) 朝日新聞 (全国版) 昭和63年1月11日朝刊家庭欄 タイトル 「好評の聴覚障害関係の本/購入希望する方は 『全難聴』 事務所へ」

  「朝日ジャーナル」 1988年1月15日号 コラム 「採光」 欄 タイトル 「病院で迷う聴覚障害者」 これは昨年11月の 「障害者の福祉11月号 提言欄」 の私稿を、 朝日ジャーナルでアレンジして取り上げたもの。

 

 (昨年後半からの胃、 肝臓の障害、 年末まで神妙に養生して、 医師も誉めてくれるほど、 回復線をたどっていたが、 年末、 年始、 公私、 疲労困憊の結果、 アッという間に逆もどりした。

 全身のダルサ、 しんどさ、 得もいえず、 すべて頓挫す。 ただでさえ、 正月前後の主婦業、 父上の看護、 その上、 朝日による電話のみの記載で、 その対応、 収拾に、 心身ズタズタとなりつづけたのが大きくこたえた。)

 ★2月

 (心身疲労甚大。 気力また底をつく。 何事をもなし得ず。)

 ★3月

 ○提言 「聞こえぬとはどういうことか?聴覚コミュニケーション障害に理解をA 電話の聞こえぬ聴覚障害者とマスコミ」 「障害者の福祉」 '88年3月号 3月2日刊 日本障害者リハビリテーション協会発行)

 (4月〜5月 肝臓、 依然はかばかしからず。 5月より、 漢方医に転ず。 やや主観的には快く感ず。 しばらく一切の仕事を休み、 専心治療にはげむこととする (山科にこもって)。

 ★6月

 ○提言 「「礼」 にはじまる  障害者をめぐる意識の問題」 「障害者の福祉」 '88年6月号6月1日刊 日本障害者リハビリテーション協会発行)

 

 (療養をつづける。 よって本年は医師のすすめにより講演は全部辞退することにした。 秋に集中的に多いが、 すべて病欠の返事をした。)

 (ただ、 気の張らぬ短い原稿は秋頃からぼつぼつ書く。 また、 9月ころより少し体の芯に力も出てきはじめたので、 体調復帰を促進する意味と気分転換に、 ワープロを打ちはじめる。)

 (俳句も改めて基本からしたいと思い、 NHK・TVの入門講座を視聴始める)

 ★11

 ○ 「単車に乗る理由」 (和歌山難聴者協会会報 「くろしお」 昭和6311月号)

 ★12

 ○ 「児らとともに除夜の鐘を」 (誠文堂新光社 月刊 「芽」 第9巻12号巻頭随筆 昭和6312月1日発行)

 ○ 「檻の中から人間が見える?   「心の時代」 の真贋がん  」 (産経新聞大阪本社版 「文化」 欄 昭和631215 (木曜) 号 夕刊)

 ○ 「共に考えよう 中途失聴・難聴者問題を   (中途失聴・難聴者コミュニケーション実態予備調査報告書)」 のうち、 報告論文 「障害女性問題」 (全国難聴者連絡協議会 発行

昭和631229日)

 

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