ギリシャでの国際数学史シンポジウム

 

                       日本オイラー研究所名誉所長

                       佐々木 力

 

 拙著『数学史』(岩波書店)の執筆を完了し、久しぶりに日本オイラー研究所のために文章を綴ることができるようになった。この8月初旬、ギリシャ中部Fthiotida県の保養地Kamena Vourlaで、"Mathematical Sciences & Philosophy in the Mediterranean & the East: Symposium in Honor of Prof. Chikara Sasaki" なる小規模の国際会議が組織された。会議標題が示すように、来春の東京大学定年退職を控えた私を顕彰する意味でのシンポジウムであった。この会議は、私自身にとってのみならず、日本の数学史家にとっても、多少の意味をもっているものと推察されるので、若干紹介の一文をものしておきたい。

 会議の趣旨は以下のようであった。"The international conference is held in honor of Prof. Chikara Sasaki (University of Tokyo, Department of History and Philosophy of Science of the Graduate School of Arts and Sciences, & the Graduate School of Mathematical Sciences).  The central theme focuses on the cultural transmutations and interrelationships between Western and Eastern scientific, especially mathematical, disciplinary matrices.   Prof. Sasaki's extraordinary achievement in the history and philosophy of mathematics has offered important insights in these areas.  Besides historical and philosophical papers on mathematics, speakers will also present papers on the history and philosophy of science broadly construed." 私に関する言説は明らかに過褒であろうが、会議の趣意がはっきりと打ち出されていると思う。

 会議の組織委員会は以下のようであった。

Honorary Chairman: Prof. Roshdi Rashed (CNRS, France)

Chairman:  Assoc. Prof. Byron Kaldis (The Hellenic Open University, Greece)

 Members of the Organizing Committee:

Prof. Eberhard Knobloch (Technische Universität Berlin, Germany)

Prof. Li Wenlin 李文林(中国科学院数学・系統科学研究院,中国)

Prof. Lewis Pyenson (Western Michigan University, USA)

Prof. Feng Lisheng 馮立昇(清華大学,中国)

Prof. Karine Chemla (CNRS, France)

Prof. Shuyu Takahashi 高橋秀裕(大正大学,日本)

Dr. Albrecht Heeffer (Universteit Gent, Belgium)

 Secretariat:

Dr. Ioannis Vandoulakis (University of the Aegean/The Hellenic Open University, Greece)

Prof. Nobuo Miura 三浦伸夫(神戸大学,日本)

 Local Organizing Committee:

Chairman: Assoc. Prof. Byron Kaldis (The Hellenic Open University)

Vice-Chairman: Dr. Ioannis Vandoulakis (University of the Aegean/The Hellenic Open University)

Secretary: Dr. Eftychios Papadopetrakis (The University of Patras)

Treasurer: Dr. K. Nikolantonakis (University of Western Macedonia/The Hellenic Open University)

Members: Dr. George Vlakhakis (The Hellenic Open University)

 

 組織委員会の名誉会長のRashdi Rashedは、アラビア数学史の泰斗にして東京大学の元同僚で、事務局長のVandoulakisは、モスクワ大学で古代ギリシャ数学史に関する研究で博士号を取得した研究者で、ユークリッド『原論』の数論に関する諸巻が公理論的には構成されていない点に着目した研究で知られる。彼は、20058月末、アリストテレスの弟子にして最初の数学史家として著名なエウデモスの生地ロドス島でフランス人数学史家を中心に組織された数学史シンポジウムの後、私を奇岩の上の修道院で有名なメテオラや、アリストテレスの生地スタゲイラなどマケドニアに連れていってくれ、一緒に楽しい会話をしながら旅した経験をもとに、彼の発議で私のために組織されたのが、今回のシンポジウムであった。その打ち合わせのために、私は076月初旬、アテネを訪問し、さらにVandoulakis 088月訪日した。

 海外からの参加者は全員が83日にアテネに到着、その深夜、貸切バスでKamena Voulraに向かうこととなった。会議会場のHotel Sissy の前は、エウヴォイア島を臨むエーゲ海の波静かな内海であり、会議の合間に参加者は海水浴を存分に楽しんだようだ。

 

*

 

 シンポジウムは、84日(火)午前から、7日(金)夜まで開催され、8日(土)は観光にあてられた。会議日程は以下のようであった。

 84日(火)

 9時から会議の趣旨説明があり、945分から1030分まで、佐々木力が、"My Life: An Interim Reflection" として、Vandoulakis のインタヴューを受けた。若い時分に駆け落ちした貧しい職人夫婦の四男として1947年春に東北の農山村に生を享け、東北大学で数学を学んだ後、プリンストン大学大学院でクーンやマホーニィらによって厳しい科学史の学問的訓練を受けたこと、クーンの科学史理論の数学史との関係、さらに佐々木のマルクス主義思想に基づく社会的活動にまで話は及んだ。

 11時から1145分まで、Rashed の講演"The 9th Century Archimedeans and New Spirit of Mathematical Enquiry"がなされた。バグダードのムーサの三兄弟のアルキメデス研究の特色を論じた講演であった。近年の講演者による9世紀から11世紀までのイスラーム無限小数学史の一端を開陳したわけである。

 1145分から1230分までは、中国科学院自然科学史研究所の劉鈍(Liu Dun)の"Archimedes: The Knowledge Hero in Chinese Literature of the Ming and Qing Periods"が話された。劉鈍の話は、明末のヨーロッパ人キリスト教宣教師が中国に西洋科学の知見をもたらすとともに、古代の最高の数学者アルキメデスの紹介もが中国で始まり、アルキメデスの数学者・技術者など多様な顔が中国に導入されたことが報告された。われわれ日本人はアルキメデスについての知識というとヨーロッパ人からもたらされたと考えがちであるが、日本人は江戸時代にすでに中国語文献を介してアルキメデスを知っていた可能性があるい。きわめて刺激的な講演であった。

 17時から1745分までは、組織委員長のKaldisが、"First Philosphy/Second Philosphy"という話をし、アリストテレスやカントの、哲学プロパーと諸科学との関係について、とりわけ、哲学固有の思索領域などは存在せず、物理学を中核とする諸科学をもって足りるというクワインの自然主義の考え方の妥当性をめぐって議論を展開した。Kaldisは、英国のオックスフォード大学で長い研究生活を送った中堅哲学者であり、その先鋭で深い思索は、聴衆に強い印象を与えた。

 85日(水)

 9時から945分まで、佐々木が"Intellectual and Social Background of Ancient Greek and Chinese Mathematics"という標題の話をした。サボー説に代わる「ユークリッド公理論数学と懐疑主義――サボー説の改訂」『思想』No. 101020086月)で展開した所論に、古代中国での諸氏百家の時代のギリシャとの類似性、さらに中国最初の統一王朝としての秦の始皇帝による思想家弾圧以降の全体主義的思想統制が数学や哲学の批判性を減殺させたという考えを結合させた。しかし、漢時代の『九章算術』の実用的計算重視の数学の重要性を軽視してはならない、という考えをも付け加えた。

 945分から1030分までは、Vandoulakis"On Certain Questions of the Rise of Mathematics in Ancient Greece"という標題の講演がなされ、サボー説への改訂案の一環として、ピュタゴラス派の数論とエレア派の哲学思想との関連についての所見を開陳した。

 11時から1145分までは、北京の清華大学の馮立昇が、"From Counting Rods to Abacus: Traditional Chinese Counting Techniques" と題して、算木による計算から、算盤の興隆にいたる中国の計算技法の展開について講演した。中国独自の計算技法の成立についての手際よい話であった。ちなみに、私は069月、黄山で開催された程大位没後400年記念の学会に講演者とともに参加したことがある。

 1145分から1230分までは、ベルギーのヘント大学のA. Heeffer が、"Regiomontanus and Chinese Mathematics: A Study on the Transmission of Mathematical Knowledge Between Cultures" なる講演をした。ヨハネス・レーギオモンターヌスが17世紀以降、西洋の数理天文学の中心的存在として中国で知られるようになった事実を明かにしたもので、中国人研究者からも大きな反響があった。

 夕刻の17時から1745分までは、東海大学の東慎一郎が、"Mathematical Objects and Theory of Science in the Sixteenth Century: The Case of Alessandro Piccolomini (1508-1579)"と題する話をした。Piccolominiとは、16世紀の著名なアリストテレス主義哲学者で、自然学研究に数学を適用しようとする動向に対して、原因を普遍的に議論する弁証法がもつdemonstratio potissima (最強の論証)なる特性を数学は欠落しているとの論拠を克明に紹介した。「数学の確実性」をめぐる近世ヨーロッパの論争の最初の局面について解説したものである。

 86日(木)

 この日も、最初の講演者に佐々木がなり、9時から945分まで、"Machiavelli and Algebra: The Modern European 'Raison d'État' and the Seventeeth-Century Revolution in Mathematics" と題して、イスラーム世界の未知数をも含む計算技法としてのアルジャブル技法が、中世ヨーロッパのキリスト教世界でラテン語に訳され、次第に記号化されて、普遍的な計算技法となり、ルネサンス期に、abbaco は筆算的算術を意味するようになったとの歴史的前提のうえに、たとえば、マキァヴェッリのような近代西欧政治哲学を唱道し始めた思想家によっても学ばれたことを説いた。それのみならず、ドイツのプロテスタントによる「ローマ劫掠」の年にして、マキァヴェッリの死の年の1527年、ローマから逃れたギリシャ古典学と数学の両方の素養があった学者がウルビーノに立ち寄り、そこの少年フェデリコ・コマンディーノを教育し、数学によって武装された軍事技術を可能にしたこと、記号代数学の唱道者フランソワ・ヴィエトやジョン・ウォリスが同時に暗号解読術の達人であったことなど、近代西欧国家の「国家理性」の文装的武備にとって、代数学と力学が大きな思想的役割を演じたことを論じた。

 945分から1030分までは、北京の数学・システム科学アカデミーの李文林が、"Chinese Mathematics Grown up from the Early 20th Century"と題して、中国人数学者が近代西洋数学を受容する過程を紹介した。同時に、文化大革命時代に数学者が権力者によってどのように攻撃されたのか、また、数学者がいかにして自らを防衛しようとしたのかについても包括的に話し、聴衆を惹きつけた。

 11時から1145分までは、ギリシャのパトラス大学のE. Papadopetrakisが、"Sur Aristote 'De Caelo: 287b 4-14' (De l'astronomie à l'hydrostatique)"と題して講演した。アリストテレスの『天体論』のテキスト中に、天文学から流体静力学への移行を示す文面があることを説いた話であった。

 1145分から1230分までは、西マケドニア大学のK. Nicokantonakis が、"The Treatise 'On the Section of a Cone' of Serenus of Antinoe and its Relation with the Book XII of Euclid's Elements"という標題で講演した。Serenus の円錐曲線論とユークリッド『原論』第12巻の関係について論じた内容であった。

 長時間の昼休みを挟んで、17時から1745分までは、中国科学院自然科学史研究所の魯大龍(Lu Dalong)が、"The Ecliptic Theory in Yuzhi Lixaing Kaocheng (1725)"と題して講演した。内容は、清朝の『御制 歴象考成』の中で展開された日食についての議論であった。自らの詳細な研究計算ノートを示し、また愉快な話術は聴衆を魅了した。

 87日(金)

 この日も、トップバッターは佐々木で、話題は"The Second Scientific Revolution and the Analytical Revolution in Mathematics"であった。クーンが1961年に提起した実験科学としてのベイコン的科学の理論化の時代である「第二の科学革命」なる概念を、数学で論じたらどうなるのかといった問題についての話であった。Carl Boyer が提唱した"analytical revolution" は、フランス革命とともに起こった数学の革命に関してであったが、それをボルツァーノの数学改革プログラム、コーシーの厳密革命、非ユークリッド幾何学の成立、ガロワ理論、リーマンの数学的偉業にまで適用しようと試みた。ちなみに、「第二の科学革命」という概念は、科学に基づくテクノロジーを可能にし、アヘン戦争以降の東アジアの欧米列強による支配の時代を作った点で、重要である。

 945分から1030分までは、Hellenic Open University G. Steiris が、"Platonic and Aristotelian Mathematics in George of Trebizond's 'Comparatio Philosophorum Platonis et Aristotelis'"という標題で、ルネサンス期のプラトン主義哲学とアリストテレス主義哲学がGeorge of Trebizondによっていかに比較されたのかについて論じた。ルネサンス以後影響力を飛躍的に拡大させたプラトン主義が一方的に正しかったわけではなかったという論点がおもしろかった。

 11時から1145分までは、最後の講演者として、Maria Alesta (CNRS, Ph. D. candidate) が、"Quelques remarques sur le traitement des nombres dans l'exposé arithmétique de Théon de Smyrne" と題して話し、古代ギリシャの数論の知られざる側面を明らかにした。

 その後、韓国から参加した釜山の高校教師の洪性烈が、2004年、外国人研究生として東京大学大学院に留学していたころの佐々木についての思い出を語った。最後に佐々木の次兄の佐々木守(1939年生まれ)も土木技師として東京キ水道局に勤めた自らの経歴を話し、若干の挨拶をした。

 夕刻には、全体としての総括討論がなされ、Rashedほかが、会議は成功したこと、今後の東西学術交流のよい出発点になったことなどの印象が話された。会議の報告集出版が検討されることも報告された。その後、地元の海鮮料理店に出向き、なごやかに会食した。

 88日(土)

 会議参加者は、観光バスに乗車して、会議開催地のKamena VoulraからLamiaに向かって中間地のTheomopylaeで途中下車した。そこには、紀元前480年、ギリシャとベルシャが戦った古戦場があり、当地は東西戦の故地として知られている。ヘロドトスの『歴史』巻七(224)には,ペルシャのクセルクセス軍に抗してスパルタ王レオニダスが果敢に戦ったあと、仆れたさまがこう記録されている。「レオニダスはこの激戦の最中に、疑いなく見事な働きをして仆れ、他の名だたるスパルタ人も彼とその運命をともにした」(松平千秋訳・岩波文庫・下,p. 142)。中国の李教授は、自らの講演の冒頭で、河北省にある隋時代の古橋のもとで撮影した佐々木の写真をパワーポイントで示したうえで、佐々木の役割は東西数学思想の「架け橋」なのだと述べた。この東西交戦の地が、21世紀初頭、東西学術交歓の場に転化したわけである。

 その後、参加者は、Delfi(古代名、デルポイ)に向かい、古代にアポロン神殿があり、神託が下され、世界の中心とも言われたその地の遺跡見学を楽しんだ。夕刻、アテネのアクロポリス近くのホテルに投宿した。

 

*

 

 ギリシャでの国際会議の概略は以上のとおりであるが、シンポジウムはギリシャのヘレニック・オープン・ユニヴァーシティの主催で、さらにパトラス大学、National Bank of Greece, MIBS Group: VIP Travel が財政的側面を全面的に支援する形で組織された。参加者の総勢は約20名で、規模はなるほど大きいものではなかったが、ギリシャの主要数学史家・哲学者、中国科学院数学研究所の李文林、前記劉鈍、清華大学の馮立昇ら中国の主たる数学史家が参加してくれ、古代数学のふたつの原型を提供したギリシャと中国双方の数学史家が交歓する絶好の機会となった。講演に伴って実に率直で、活発な議論が展開された。

 プログラムからも明らかなように、私は会議開催日の毎朝、都合4つの話を試みたが、自伝的インタヴューのほかは、いずれも来春岩波書店から公刊予定の拙著『数学史』執筆の過程で得られた知見を披瀝したものである.

 会議二日目の85日の夕食会はギリシャのシンポジウムに先だってハンガリーのブダペストで開催された国際科学技術史会議で国際学会会長に選出された劉鈍の会長就任を祝賀する席となった。劉鈍は私と長年一緒に国際学会役員だけではなく、国際数学史委員会の執行委員をも務めた間柄であるが、私は学術研究一途の道を歩むことになり、他方、劉鈍は国際学会行政の地位のトップに登り詰めることになった。近年の中国の国際的政治文化地位向上の象徴であり、まことに慶賀すべきことと言わねばならない。

 会議の終盤には、地元のテレビ局が取材に訪れ、私、Rashed、劉鈍が取材記者のインタヴューに応じた。

 前記の数学史に関する小会議は、今後のギリシャと中国との学術交流の画期的出発点になったのではないかと希望する。

 ちなみに、会議終了直後、私は次兄とともに、Vandoulakisの故郷のクレタ島にフェリーボートで渡り、その島の楽園のような自然と、ヨーロッパ最初のミノア文明のクノッソス宮殿などの遺跡見学を楽しんだあと、アテネ、ロンドン経由で、17日午後に日本に帰着した。

 以上のシンポジウム報告をもって、日本オイラー研究所のサイトへの投稿再開の宣言としたい。

  (SASAKI Chikara, Honorary Director of the Euler Institute in Japan;

   東京大学大学院総合文化研究科・数理科学研究科教授)

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